わかりやすい日本語教育
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オンライン授業を通じて得た恩恵 charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

今日はコロナ禍に始まった新しい授業スタイルである「オンライン授業」で感じたことを話していこうと思います。日本語教師としてオンライン授業を始めていろいろなメリットデメリットがわかりました。その中でふと新しいオンライン授業の魅力を見つけました。

今後続いていくであろうオンライン授業を日本語教師がどうやって生かしていくのか、どんな楽しみがあるのか、私なりの考えをお伝えします。

是非最後までご覧ください。

 

コロナ禍が齎した妥協授業

数年前にコロナが世界を支配してまもなく、教育業界は対面授業が継続できないという前例のない苦境に立たされました。そして、その影響によって導かれた教育環境が、苦肉の策から突出した妥協なまでの「オンライン授業」という目新しくも不本意な授業形式でした。

当初、ICTやGIGAの躍進によって、付加価値としてのオンライン授業構想は将来的に期待されていたわけですが、対面授業の代わりとなる授業環境として登場したオンライン授業の台頭に、教育業界全体は震え上がる形となりました。

オンライン授業の環境は、単にPCの周辺環境を整えたから導入完了ということは一切なく、教え方といった部分に関しては教師は手探りでしかなく、学生に至ってはPC画面に閉じ込められるかの如く、授業内の発言も存在も完全に冷え切っていました。

日本語教育においても同様、あれから3年の月日が経った今でも、当たり前のようにオンライン授業が違和感なく存在していますし、今後コロナが落ち着いた後も残っていく可能性は十分あると思っています。

授業の質でいうと対面には敵わないといった声も至る所から挙がり、学生からの評判も悪く、教師からも授業のやりにくさを露骨に伝えている、など。オンライン授業の在り方は、微妙な立場のまま存在しています。そんなデメリットで溢れたオンライン授業ですが、最高なまでのメリットもあります。それは、海外といった遠い場所で授業が行えるというオンラインならではの良点です。

大学や専門学校、はたまた小中高といったような学校教育現場においては、デメリットに尽きるかもしれません。しかし、日本語教育現場はというと、日本と海外を繋ぐことで教師と学生が学び合えるのは素晴らしい環境ですし、多くの企業がその環境の将来性に魅力を感じ、日本語教育市場に目をつけては続々と参入してきています。

 

 

オンライン授業の善し悪し

学生も教師も首を傾げるくらい微妙なリアクションの中、授業のやりにくさに定評があるオンライン授業ですが、十数名を要するクラスとして構築するという意味では互いにメリットが薄い印象ですが、マンツーマンといった環境では十分な魅力を発揮します。

私も実際に、企業が実施するオンライン講師に登録しオンライン授業を行ってみたのですが、マンツーマンの環境であれば互いのニーズや方向性を確認した上で授業を構築できるので、満足のいく授業展開が組み立てられます。また、授業準備も学生のニーズにより多少変化はあるものの、対面での準備に比べると、ボリューム的には楽な方かなと思うこともあります。

オンライン講師としてのノウハウや経験を積みたいということであれば積極的に経験してほしい所ですが、生活収入としてはかなり厳しく、副業止まりの働き方になってしまうかもしれません。

オンライン講師を経験してみて思うのは、マンツーマン授業の心地よさと授業構築が展開によって面白い内容に持っていけるので、学生満足以上に教師満足が得られるのがいい所だと思います。

クラス授業の構築ともなると、十数人程度の学生をどう満足できるのか、できない場合は教師満足も得られないのか、そもそも授業における満足って何?というような哲学めいた所まで考えがいってしまうのです。

その経験のおかげもあって、オンライン講師のノウハウを得て、十分内容が理解できた所で企業登録を辞め、自身で管理・運営を行うプライベートレッスンに移行していくことにしました。

 

海外にいる日本語学習者たちの思惑

約一年くらいかけて、授業のやり方や取り組みに関して模索しながらプライベートレッスンを構築してきましたが、今の状況に至るまでは、多少なりの苦労は当然ありました。一つはワンオペであること、そして学生募集の難しさ、最後は継続したいと思える意志とモチベーションです。

利益を追求せずに始めたこともあって、一般的な価格より安価だからこそ学生募集は何とか形になったものの、ワンオペとモチベーションのバランスがネックになりました。

暫く経ち、環境に慣れることで、そのバランスも落ち着き、何となくの形として定着してきました。そして、今後も継続して続けていくかどうか、ふと立ち止まってみた時に、一人の学生に出会ったのです。

その学生は中国の某大学の日本語学科に通う学生で、平日夜に学生寮から私の授業を受けているのですが、オンライン授業の詳細は、学生の意向で「大学の宿題添削」という内容でした。

その学生の周りにはいつもルームメイトがいて、和気藹々とした雰囲気の中、レストランで他愛のない会話をしているような空間で、授業というよりは、ほぼ雑談に近いものでした。近々スピーチ大会があるので緊張しているだの、将来の悩みや近況など、教師と学生というよりは友達のような関係で毎回授業を実施しています。

私にとって不思議なのは、その大学には日本人の日本語教師がいて、その学生に毎回宿題を課すわけですが、その宿題の解答を私の授業を通じて聞いてくるのです。その理由を学生に聞いてみるも、担当の大学教師は日本人だから優しいけれど、そんなに距離が近くないから色々な質問が聞けなくて困っている、というのです。

私の方はというと、その学生曰く、親近感があって何でも相談できて話しやすいというのです。私はその時、オンライン授業を通じて思いがけない発見と言葉にできない宝物を見つけた気がしました。

縁という一言に尽きるというか、不思議なまでの謎授業が毎回このように行われているのです。この状況は一体何なのか、仕事なのかプライベートなのか、私は教師なのか友達なのか、授業なのか雑談なのかもよく分からない違和感に、堪らない愛おしさを感じるのです。

この授業はどこに向かうのか、いつ終わるのか分からないけれど、終わってしまえばきっと残念に思うのだろうと勝手にそう割り切っている自分がいるのです。そして、言葉でうまく説明することは難しいけれど、その学生に、このような状況を与えてくれて、心から「ありがとう」と言いたいのです。

 

日本語指導の、その先にあるもの

世間的にも待遇的にも不評に晒されやすい日本語教育業界ですが、もし「どうしてこんな業界に長く居座っているんですか?」と聞かれたら、いつも頭に浮かぶ台詞があります。

この日本語業界の門を叩いた時は、業界を少しでも良い方向に変えてやると一人で勝手に意気込んでいましたが、7年目になって、その気持ちは少し落ち着いてきたように思います。

外国人に日本語を教えることが日本語教師の役割であり職務であることから、日本語教師にとっては日本語指導が全てなのです。しかし、実際のこの仕事の魅力は日本語指導でなく、その先にあるものだと分かりました。

それは、おそらく経験者にしか分からない所だと思いますが、日本語を毎回指導していて思うのは、日本語以上に教えたいことは山ほど出てくるし、学生から教えられることも山ほどあります。先程の学生の場合も同様なのですが、日本語を超えた別のものに対して授業している感覚であり、はたまた錯覚なのかもしれません。

言語を通じて知り得るものは、単なる知識や学習や技術だけでなく、心のずっと奥にある温かいものに触れる時もあるのだと、その時初めて思い知らされたのです。

日本語教師という職業は、肩身が狭く誰からも憧れられない仕事だと客観的に自負していますが、方や、このような特別な感覚に出会えるからこそ、一生の仕事にしたいとさえ思えるのです。

世の中には様々な仕事がありますが、皆さんが選びに選んだその仕事は、一生続けたいと思える仕事ですか?日本語教師という職業は、私にとって偶然見つけた仕事ですが、暫く続けてみて改めて良かったなと思える仕事でした。

この仕事を続けていると、政治や風評といった偏見の塊にうんざりすることが多々ありますが、授業を通じての個々との関係には、当然何の隔たりもありません。

一つのコミュニケーションがきっかけで、一つの心が繋がり、その繰り返しが世界平和に少しでも繋がるのなら。そんな淡い想いの中、それが例え綺麗事だとしても、何も発信しないよりは言いたいことを発信した方がいいと強く思っています。

今尚繋がっている学生たちに感謝し、まだ見ぬ学生との出会いにも期待を馳せ、私を選んでくれた何人かの学生たちと、今日もオンライン授業を続けています。

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