わかりやすい日本語教育
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日本語教師が志すべきもの charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

今日は日本での学校教育における時代の変化をテーマに話していこうと思います。時代の変化に伴い、教師と学生の立場や距離感の変化が顕著になってきています。それは一般的な学校教育だけでなく、日本語学校においても同じです。

また、コロナ禍に伴う学校教育の変化についても触れていこうと思います。対面授業からオンライン授業への変化についての私の考えをお伝え出来ればと思います。

是非最後までご覧ください。

「教えない」授業という考え方

現在の学校教育では、先生と学生の上下関係が見直されています。

先生が持つ知識や教養を学生に指導する際に、教えるというスタンスを当然とってきたわけですが、最近求められている教育論は「教えない」という教育理論がトレンドです。

直接的で違和感でしかないその発想は、私も最初は斬新で突飛な発想だと感じました。そもそも、学生は先生から「教わりたい」立場だし、先生は学生に「教えたい」立場だからです。しかし、知識や教養というのは時代と共に変化しており、ネット社会である昨今、あらゆる情報が飽和しすぎているせいか、渦のようにひしめいています。

以前であれば、成績優先の詰込み教育で、成績上位になるために覚えるべき内容が山のようでしたが、最近は対話優先の自律教育なので、成績に捉われず、先生との対話を通じて自律学習を促す教育論が求められています。

いつしか「先生がいなければ成績が伸びない」という神話は崩壊し、何より「先生がいなくても自律学習で成績を伸ばす」という概念が最も重要なのです。これはただ、先生自体が不要なのではなく「教えない」授業を実施することで、単なる指導者でなく選手を見守る監督のようなサポーターに徹してほしいのです。

具体的には、授業で扱う新しい内容は、先生が一方的に教えず、できるだけ考えさせる時間を作るという作業です。授業準備をしっかり行い、Aという指導内容について解説・指導を日頃からされている先生は理解に苦しんだり混乱を生むかもしれませんが、Aという指導内容をあえて「教えない」で、その内容について学生と一緒に考えてあげてほしいのです。

問題の答えを求めたり提示するのではなく、問題についてまず考え、答えを確認した後で、さらにどうしてそうなるのかを考える授業が「教えない」授業です。

従来のやり方では、教師が学生に対してすぐに答えを提示することは多く見られますが、定着に至るのは困難なものです。しかし、一連の流れを共に考えることで問題から答えまでの道筋を理解するからこそ納得が生まれ、定着に至るのです。

 

授業スキルから監督スキルへ

今までも現在も、日本語教師が活躍する場は、当然ながら授業を行う教室内です。

日本語を指導する姿は勇ましく、明るく気丈に振る舞う演技等が必要で、授業スキルだけでなく、コミュニケーション能力や学生に寄り添う姿勢、柔軟性や適応力といった人間性も求められています。

いつしか授業の面白さや奥深さに見出された教師は授業戦士として経験を重ねていくわけですが、最近の日本語教師に必要なのは、授業戦士の力量以外に、自分や周りを客観視し分析できる監督スキルが求められています。

将来どのような教師を目指し、どのような環境で仕事をしていくかの自己分析は勿論、学生からの信頼を勝ち取るための方法や自分が置かれている立場も含め、自らが監督として今後のことを見据えて行動できるかにかかっています。

授業も同様です。従来の教育手段を行使し上下関係を重んじる形式では学生満足に至らないこともあります。自らが監督として、学生の背中を押し、学生の目標に向けたサポーターとして授業を組み立てていく必要があります。単に上からの立場で教えるのはなく、学生が目指す学習目標の後押しをする存在です。

実際に行動するとなると難しいように思えるかもしれませんが「教えない」授業の考え方を用いて実践していけばそれほどでもないですし、学生に一人一人に寄り添う家庭教師のようなイメージで取り組んでいけばいいのです。

 

対面授業こそが全てという価値観

対面授業こそが本来あるべき授業であるのは重々承知だからこそ、対面授業への絶対的な考え方をあえて否定しようと思います。

対面授業だからこそ感じられる空気感や肌で感じる言葉以外のコミュニケーションが取れる環境こそが対面授業の素晴らしい所だと思います。

オンライン授業はというと、授業自体が講義的になることで一方通行な感じがして、相手との距離が掴みにくく、冷たい感覚の中で授業が続いていく感じが辛いという印象を受けますが、本当にそうなのでしょうか仮に、学生の人数が多い環境だと授業がしにくいから嫌だというなら、対面でも同様だと思います。

小学校の現場では、教室内に30人といった子供たちを指導している教員が多くいますが、そのことを思うと正直、頭が下がります。20人の外国人相手でも相当大変なのに、30人の子どもたちという環境では手も足も出ない程です。

そのため、学生が多いという理由でオンライン授業を否定するというのは、正直どうかと思います。講義的になるとか、一方的な授業構成だとか、相手との距離感が難しいといった内容も、結局は教師が上の立場から学生を指導しているからこその環境なわけで、その環境は教師自らが生み出したものです。

「教えない」授業の考え方や監督戦士の考え方を用いれば、オンライン授業の環境であっても理想の授業が実現できるはずです。つまり、学生がどんな思いでオンライン授業に参加しているのか、が大切だということです。

この先生の授業はきっと楽しくないだろうな、とか面白くないだろうな、とか。学生は、授業に対して我儘に自由に判断するものです。対面授業も同様です。だからこそ、教師は事前にその状況を想定して「そのような学生と、どう向き合うべきか」を準備する必要があります。

その努力の結果、学生との間に信頼関係が築けることができれば、オンライン環境でも問題なく学生指導ができるはずなのです。

 

日本語教師が志すべきもの

コロナ禍の影響により、海外にいる日本語学習者たちは今なお日本に入国できない状態が続いています。

そのような状況が長く続けば、外国人留学生の学費を経営の糧としている日本語学校は少しずつその姿を消し、世の日本語教師たちの働く場が縮小されていくと、教師人口も自ずと少なくなっていくことでしょう。日本語教師という存在は、学生ありきの職業であることから学生がいなければ、その職は成り立ちません。

国内にいる外国人生活者に対する日本語指導も勿論必要ですが、日本語学習が取り急ぎ必要な人口は、留学生に比べると少ないものです。外国人の子どもや就労者といった外国人も多いですが、全員が全員、日本語学習が必要かというと実際には分かりません。そもそも、学校教育における日本語教育や会社における日本語教育は、日本語教師が直接指導できる環境になく、下地として整っていないのが現状です。

日本語教師の働く場は少しずつ増えているようですが、そのような環境もあって実際には狭いものです。働き口の登竜門である日本語学校が経営的に厳しい状況なら、日本語教師の行く末も考えものなのです。だからといって諦めたいわけでは決してないので、日本語教師として志すものを改めて考えてほしいと思います。

日本にいない日本語学習者たちは年々減っているどころか増えていますし、日本文化や日本の魅力に関しても、劣っているわけではありません。今後は、日本語学習者が日本に来る来ないに関わらず、オンライン環境で繋がっていく他ないと思います。学生は待っていても来ないことから、教師自らが発信者となって自分を売り込んでいくのも手だと思います。

私にとって志すものは、3つあります。

日本語学習者との交流機会を増やすこと

②同業者や教育関係者などの人脈を増やすこと

③日本語教師としての知名度を上げること

特に最後の項目は簡単ではありませんが、今の自分のモチベーションを維持するウェイトとして何れも欠かせないものなので、例え小さいものでも、今できることを一つ一つ積み上げていきたいと思っています。

 

 

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