わかりやすい日本語教育
charls

文章表現にこだわる想い charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。また、自身の経験から日本語教師の働き方や教育方法、心構えなど日本語教育に関する自身の気づきを伝えていこうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、日本語教育を考えるきっかけになればと思います。

今日は私が本業である日本語教師としての活動以外にやっていることを紹介したいと思います。また、日本語教師とその活動を合わせて将来やってみたいことや、なぜそのことに興味を持ったのか。そしてそのことが日本語教育にどんな影響があって、日本語教師としての強みをどう生かしていけるのかなど、日本語教師の新たな可能性について話したいと思います。

是非最後までご覧ください。

 

文芸を学ぼうと思った動機

これまで日本語教師のことについて色々綴ってきましたが、私は日本語教師という本業とは別に、社会人大学生として京都の某大学に通っています
現在4年生として卒業論文を控えている状況ですが、本業の忙しさに負けて卒業できるか正直わかりません。去年、文芸学部に3年次編入学したわけですが、どうせ大学に行くならと文芸分野を選んだのには、自分の中での覚悟を決めた理由がありました。
元々文系で芸術志向のタイプであったことから、芸術や文学などでも正直良かったわけですが、文芸の分野に飛び込んだ理由は、将来小説やエッセイなどを書く作家としての目標が生まれたからでした。
小説に関しては、短編小説ですが、乙一さんや星新一さんの本に触れながら、空想を想像するのが好きだったので、短編小説を趣味で書いていた時期がありました。そして、エッセイに関しては、せっかく日本語教育分野で働いていることから、日本語教育事情を根掘り葉掘り書けたらという気持ちもあり、文芸の門を叩いたわけです。

 

短詩を毎日綴るということ

以前、趣味として短編小説を綴っていた頃、twitterというSNSに出会いました。
最近では多くの人が習慣にしているくらい有名SNSですが、当時の私にとって、140字の投稿という世界にも、ちっぽけな希望があるのでは考えたのです。多くの人にとっては、日常のことや何気ないことを呟く単なるtwitterですが、140字制限の文章の中で、日々素敵な言葉を綴れば、誰かのためになるのではないかと考えたのです。
共感してもらったり、背中を押してあげたり、慰めたり励ましてあげられたりと、自分の言葉が世界に発信されることで、誰かの気持ちを救うことができたら最高のツールだと思って始めたtwitterですが、現在も毎日投稿を続け、今では約14,000人(2021/5/31現在)のフォロワーの方に応援して頂いています。(自身のtwitter:@charls0308)
単なる自己満足で些細な短詩ですが、その言葉に救われたというメッセージを頂くようになってからというもの、言葉には魔法があり、言葉一つで世界が変えられるのだと実感しました。

 

卒業論文で掲げたいテーマ

コロナの影響を受けての入学でもあって、オンライン授業を強いられたことから、大して文芸の勉強がこなせていない中、卒業論文を目の前にして研究してみたいテーマがあります。それは「外国人でも読める小説を書きたい」というものです。
外国人留学生は日本語を勉強する時に、読解を学びます。読解の題材となる日本文学や書籍は、外国人にとって特に難しいものですが、読書を普段しない日本人にとっても日本文学は難しいものです。文章表現も難しいし、縦書きで読みにくいし、文芸の分野にいる立場の私自身にとっても、とっつきにくい印象です。
元々読書が好きな外国人でも、日本文学には苦手意識があるようです。その理由は、普段読書をしない日本人が思う気持ちと同様です。外国人に対しても読みやすいものにするためには、文章を横書きにして、文章表現を「やさしい日本語」にして、ルビをふったり分かち書きにすべきなのです。
ただ、外国人によって日本語レベルが違うので、外国人向けの小説を、どのレベルに設定するかは難しい所ですが、例えば、N3やN2レベルの外国人でも日本文学が読めるように、外国人側の気持ちと日本人作家側の気持ちの両面が理解できる自分になら、その小説が書けると思ったのです。
平仮名ばかりの小説を書くことが外国人に親切なわけでもなく、漢字ばかりの小説が外国人に親切なわけでもないので、常用漢字を基本に、小中学生にも読みやすいものであれば、外国人にも読みやすい小説が書けると思うのです。
外国人にとって関心のある日本語や日本文化を題材に、日本人の視点を持ちながらも外国人のことが理解できる日本語教師が書く小説だからこそ、双方向の楽しみ方ができると思っています。
そのような小説が実際にあれば、外国人に対してメリットがあるだけでなく、読書嫌いの日本人に対してもメリットがあると思うのです。

 

誹謗中傷は、社会への叫びや悲鳴のようなもの

文章表現について某大学で深く学んでいるわけですが、日本語の文章表現は、他言語に比べて奥が深いと思っています。
同じような意味の言葉が、ニュアンスの違いや表現の違いで言葉が多く存在しています。それを自然に無意識に取捨選択している日本人が多くいる中で、その時に相応しい言葉を口に出す時に、どんな言葉を口に出すのか。私はそこに、個性やセンスを感じます。
最近では、誹謗中傷が社会的に問題視されていますが、私にとっての誹謗中傷は、どこか社会に対する叫びや悲鳴のように感じます。
しかし、言葉は生きている以上、誰が発したかは関係なく、どんな言葉でも独り歩きしては相手に直接伝わります。悪い言葉であれば、弁明も解釈もしようがない悪い言葉として相手に真っ直ぐ伝わってしまいます。
そんな悪い言葉が蔓延している世の中で、良い言葉や素敵な言葉がどうして蔓延しないのか不思議でしょうがないですが、それはきっと、我々が人間である性なのでしょう。残念で仕方ないことですが、世の中の多くの人にとっては、良い話より悪い話の方が関心があるのです。だからこそ、私は前述で述べたように、twitterで素敵な言葉を綴りたいと思うようになりました。
現実世界ではうまくいかないことでも、ドラマや映画のように非現実的なことに憧れる人が多いことから、文章表現の世界でもそれが少しでも成し遂げられると信じて、少しでも誰かのためになれたらという想いで、日々素敵な言葉を発信しています。

 

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