わかりやすい日本語教育
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大して日本語が好きではない理由 charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。また、自身の経験から日本語教師の働き方や教育方法、心構えなど日本語教育に関する自身の気づきを伝えていこうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、日本語教育を考えるきっかけになればと思います。

今日は私がなぜ日本語教師という仕事をしているのかをお話ししたいと思います。数ある教師という仕事の中から、なぜ日本語教師を選んだのか。そして日本語教師は、皆日本語が好きなのか、そしてスペシャリストなのかを自身の経験からお伝えしたいと思います。

是非最後までご覧ください。

 

日本語教師は、一種のサービス業

冒頭からこんなことを言うと教師失格なのですが、正直な所、日本語なんて大して好きでもありません。
この仕事が好きな理由は、誰かのためになる仕事だから、感謝される仕事だからです。ただそれだけだと、サービス業も同様の考え方なので、私がこだわりたい所は、その精神の元に「外国人の方々と関わり合える」からです。
今回のテーマは、外国人という存在意義について考えてみたいと思います。多くの日本人にとって、外国人という意義は「日本人以外の人間」だと認識している気がします。すなわち、昔ながらの言葉で表すと異国人という存在です。
あたかも人種差別のように聞こえる言葉ですが、おそらく異国人から外人というふうに名前が移り変わっていったのだと思います。

 

和製英語というトラウマ

まず何より、島国で生きてきた我々日本人にとって、外国人という存在は恐いものです。江戸時代頃まで鎖国を続けてきた日本の環境や、外国とのふれあいが滅法薄いことから仕方のない感情だと思います。
現代になって、外国人を町で見かけることも多くなってきましたが、それでも不意に道で声をかけられた日には恐れ戦きます。英語を主とした外国語の普及が当然になってきた昨今、それでも日本人の多くは持ち前の和製英語を用いて、不慣れなネイティブ英語と渡り合おうとしています。rはアールだし、zはゼットだし。
今や和製英語は日本文化の一部としてまかり通っていることから、ネガティブに思っている日本人が少ないからか、改善や後退という歩みでなく、むしろ進化しているような気がします。和製英語を一種のトラウマとして捉えると、これまでの教育を否定してしまうので、仕事上、違和感でしかない和製英語も前向きに捉えるしかないのです。

 

外国人に町で道を聞かれる理論

この仕事をするまでは、自分にとって外国人は恐い存在でしかありませんでした。ただ、今はもう大丈夫かというと、最近になっても外国人に道で声をかけられたらドギマギします。
日本語教師だから大丈夫とか単にそういうことではなく、これはどうしようもない性格上の問題です。海外旅行している時はそんなこと全然考えないのですが、日本で声をかけられるとつい取り乱してしまう理由は、外国人に話しかけられたこと自体ではなく、その状況に慌てふためいてしまうのです。ようは、周りからの目線です。
自分のことはさておき、周りのことが気になってしようがない小心者の性格が邪魔をするのです。英語ができないからとか恥ずかしいという理由以前に、周りのことが気になって仕方ないのです。そんな小心者の私でも、教壇に立つと偉そうに授業できるわけですが、学生が外国人でなく日本人となると、そういうわけにはいかないのです。
相手が日本人というだけで、どこか見透かされているようで落ち着かないのは、私にとって「外国人に町で道を聞かれる理論」と同様なのです。

 

日本語教師は、日本語の専門家ではない

「筆者は、なぜここで『町で道を聞かれる理論』という言い方をしているのか述べよ」というような読解問題がふと頭を過ぎりましたが、日々の生活でも、こういったことをすぐ思いついてしまうので、おそらく職業病なのでしょう。執筆やライターの仕事を最近させて頂くようになってから、いつしか第三者目線で物事を捉える癖がついてしまっているのです。
外国人のことを外人(ソトの人)と呼んでみたり、子どもを子供と書いてみたり、些細な言葉でも差別的な要素があれば、それは少しずつでも正していくべきだと思いますが、真っ向から否定するわけにはいきません。相手がどんな立場や考え方でそのような言葉扱っているのか分からない以上、正論としてでも戦えないのです。
日本語教師だから日本語のことを全て知っている、と周りからよく勘違いされますが、実際は割と知っているだけです。意外にも、日本語のことをよく知らない日本語教師は、多くいるかもしれません。
日本語教師は、全員が全員、日本語の専門家ではありません。日本語の専門家というのは大学教授や研究家の分類であって、私たち日本語教師は、どちらかというと、サービス業の一種だと私は思います。
日本語教師は、日本語教師になってから日々勉強しています。勉強したいからというよりも、日本語の意味や用法を自分の言葉で外国人に納得させたいからです。言葉の意味だけなら、調べたらすぐ分かります。しかし、その言葉をいつどこでどういうふうに使うのか。それを詳しく、そして具体的に、更には楽しく教えられるのが日本語教師です。
冒頭で、私は日本語を大して好きではないと言いましたが、その通りです。日本語は単なる言語であって、ツールにすぎないからです。しかし、大して好きではない日本語でも、一般的な日本人に比べて、外国人に寄り添って、外国人のニーズに応えられる日本語が提供できます。それは好き嫌いではない人智を超えた何かが自分のスキルとして磨かれたことで、今現在、日本語教師として活動できているのだと思います。

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