わかりやすい日本語教育
charls

会話指導を、あまりしない日本語教師 charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。また、自身の経験から日本語教師の働き方や教育方法、心構えなど日本語教育に関する自身の気づきを伝えていこうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、日本語教育を考えるきっかけになればと思います。

今日は日本語教育の中で会話指導に目を向けたいと思います。語学の勉強では話せることを目標にする人が多いと思います。それは留学生が日本語を勉強するときも同じです。留学生が日本語を話せるようになれるように、日本語学校ではどのような会話指導をしているのか、会話指導の比重はどのぐらいあるのかを話していきます。

是非最後までご覧ください。

 

外国語講師としての在り方

小学校の頃から、英語という外国語の勉強を強いられていたわけですが、受験勉強の一環であった英語も単なる知識の一つという認識でした。
ただ当時、親の計らいで何気に英語の塾に通っていて思うのは、コミュニケーションを楽しもうという授業でした。何食わぬ顔で、何となく通わされている学校教育と違い、その英語の塾は勉強に興味のない自分に知識の面白さを教えてくれたのです
この業界の門を叩き、日本語教育に携わって思うのは、面白いはずのコミュニケーションを、学生たちに全然教えてこなかったし、今なお教えていないという事実です。
日本語学校において日本語会話をたくさん教えているであろうイメージは、実際の現場では皆無の学校が多いのです。全ての日本語学校がそういうわけではないですが、一部の学校を除いて多くの学校では、日本語試験のための日本語を日々教えているということです
進学や就職に必要な日本語試験をパスさせるために、会話以外の知識を学ばせる必要があります。大抵どの日本語試験も、会話力を問う試験はありません。それが良いのか悪いのか賛否はあれど、結果コミュニケーションがうまくできない学生が山ほどいるのが現状です。
私が日本語教師になる前はそんな事実は勿論知らなかったし、むしろコミュニケーションをたくさん教える外国語講師としての日本語教師だと思っていただけにショックでした。

 

コミュニケーション力を重んじる日本社会

日本語試験に会話科目がないからといって、進学や就職時に面接試験があることから、どこかのタイミングで会話指導をする必要があります。日頃から会話授業をしていればそんなに構えることのない面接指導ですが、実際の指導となると大変なものです。上下関係でのコミュニケーション方法やビジネスマナー、挨拶や礼儀といったような日常的なことまでも指導する必要があります。ようは、短期間で指導するには荷が重いわけです。国公立や有名私大などの面接試験ともなると、コミュニケーションにおける柔軟さや流暢さ、アドリブ力などが求められます。日本人ですら難しいというのに、それを留学生にまで求める姿勢は今なお変わっていません。しかし、それはある種当然で、大学生活においての日本語力を思えば、そのくらいのコミュニケーション力は必要最低限なのです。
では、日本語試験に必要な知識とは別に、会話授業を単に設ければいいのでは、という発想にもなると思います。ただ、日本語試験のボリュームというのも計り知れないほど内容が重く、初級から上級にかけて指導していく上で、日本語学校卒業時には、中級レベルくらいしか底上げできないのが実情です。
日本語学校で最大2年、日本語を学んでも、中級レベルにしか届かないのは実際ダメなことでしょうか?現場の日本語教師にしか分からない苦労がそこにあるわけですが、我々を例にすると一目瞭然で、小中高と約7-8年も英語を学んできたというのに、理解語彙や使用語彙という基本的な英語力というものが、今どのくらい身についているか想像した時に、中級レベルあるだなんて正直お世辞にも言えないわけです。留学生として日本で初めて日本語を2年学んで、それで中級レベルなら妥当だと、世の日本語教師はそう認識していると思います。

 

日本語学校が会話授業を重視しない空論

これまで勝手に問題視してきた会話指導ですが、日本語学校での環境や考え方に、そもそも問題があるのではという切り口で話を進めていきます。
先ほども触れたように、全ての日本語学校がそういうわけではなく一部の学校では、会話をメインにした日本語学校も存在しています。おそらくその学校の方針というのは、短期留学生や日本文化体験など、日本語を趣味として学びたい学生向けに敷かれている環境もあれば、試験対策授業と並行して会話授業を推し進めている学校もあると思います。結果的に、日本語学校としてどの分野を重視すべき次第でもありますが、日本語学校としての営業面や実績のことを考えると、日本語試験に合格する学生が多い日本語学校というのは、やはり誰の目から見ても優秀であり学生に人気のある学校なわけです。
そういう背景から実績を重んじる学校が自ずと増え、いつしか進学校を志す日本語学校があちこちに点在しています。実際のところ、カリキュラムを何かしら工夫して会話授業を設けることは難しくありませんが、それは試験に合格したあとの授業に組み込めばいいという話でもあります。しかしそれでは時すでに遅しですし、きっと学生は満足しないでしょう。
日本語学校が関わる大きなファクターとして、教育観念と経営観念の狭間で揺れ動いているだけでなく、学生満足を追求する学生ファーストと利益を追求する学校ファーストの見地からもバランスよく考えていかなければならないのです。

 

日本語教師としての苦労は会社員寄り

日本語教師として日々奮闘している中で、コミュニケーションを重んじた会話授業の少なさへの嘆きは、ふと気づけばどこかに行ってしまうものです。日本語教師として本来指導すべきはずのコミュニケーション授業が実際少ないからといって、日本語教師は毎日頭を抱えているわけではありません。
教師といえどサービス業の傍ら、学生だけを思って仕事していれば楽ですが、組織であることから、運営や方向性の違いに絶望したり、人間関係のもつれや歪みに苦労したりと、そこは我々いち会社員なのです。
日本語学校が教育と経営の狭間にあることから、我々の思想も教育志向なのか経営志向なのか、いつしか揺らいでいきます。日本語教師は一般的に教育者であるけれど、教育を重んじているだけでは十分なメシを食っていけないのです。働き方を模索し、自分が志したい分野に向かって職場を変えることも必要な選択です。
今後ある程度、お金も経験も満足した頃に、ようやくコミュニケーションを重んじた会話授業に携わり、味わい深く嗜むことができるかもしれません。それくらい世の中の日本語教師は苦労しているのだろうなと、私は思ってしまいます。

 

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