わかりやすい日本語教育
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日本語学習の先にあるもの charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。また、自身の経験から日本語教師の働き方や教育方法、心構えなど日本語教育に関する自身の気づきを伝えていこうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、日本語教育を考えるきっかけになればと思います。

今日は【日本語学習の先にあるものというテーマで、私が日本語教師を始めたときと、今の授業に対する考え方の違いと、なぜそう思うようになったのかを話したいと思います。初めて日本語教師として登壇した時の話や考え方が変わったきっかけについても話していきます。是非最後までご覧ください。

 

 

「教える」という難しさ

まず、授業という言葉の意味ですが「学校などで学問や技芸を教え授けること」です。教える側を「教師/先生」教わる側を「学生/生徒」と呼びますが、日本語教師は「日本語を指導すること」であることから、専門的な指導スキルを習得し日本語知識を学生に還元することが仕事です。
日本語教師は専門的な知識を身につけているとはいえ、日本語教育に関する深い知識や研究者のような学術を持ち合わせているわけではないので、日本語教師になってから日本語というものを学び、日々研鑽することが多いです。
一見、外国語講師の立場に思える日本語教師ですが、外国人相手では一筋縄ではいきません。
国語教育のように学生が日本人であれば、指導する内容もニュアンスやフィーリングである程度伝わるものも、相手が外国人ともなると一切伝わらないどころか生活習慣や文化が違うのも相まって、ただ日本語を教えるといっても相手はすんなり黙って話を聞いて理解できるかというと、そんなことは勿論ないわけです

 

登壇するための授業準備

6年くらい前に、日本語教師として登壇デビューした時のことを今でもよく覚えています。某大手養成講座を休学し、先輩が指導しているというベトナム・ホーチミンの日本語センターで、初登壇を迎えました。その時は、学生の顔を見る余裕もなく、手元の資料もバタバタしながら整理しきれず、声も上擦って板書もグチャグチャでした。
授業後は、緊張しながらも登壇できたことへの喜びや学生の笑顔に救われながら、家に戻り汗だくのままベッドに横たわり蹲っていたことを覚えていますが、それ以上に、もっと分かりやすく教えたかったという後悔や経験不足からの情けなさなどが押し寄せてきました。
教師として登壇するために重要なのは、勇ましく堂々と授業に向き合うべきだとか指導者に必要な知識やスキルをどうやって習得すべきか、ということについて日々模索していました。当時は、授業戦士としての先生ファースト志向で物事を考えていたのです。
登壇した後でどんな振る舞いをすべきかを追求するうちに、授業準備の大切を痛感します。授業準備はとにかく大変で辛くて苦しい作業ですが、それは登壇した後の自分を守るための作業なので、しっかりした準備をした方がいいわけです。
そして、授業準備で一番大切なのは授業における全体イメージです。授業進行のスタートからエンドまではもちろん、その間にあるタスクや構築も同様です。授業準備が慣れてくると授業全体イメージがしやすくなってくるので、デビューから数ヶ月くらい経つと苦しさから楽しさを感じられるようになると思います。

 

日本語の学びの向こう側

ベトナムから日本に帰ってきて、日本語学校に勤めることになってから暫くの間は、授業を活性化するために何が必要で学生のために何が指導できるのかという教師視点の考え方で授業に取り組んでいました。それから数年が経ち、学生ファーストに考え方が切り替わるきっかけとなったのは、ある学生との出会いでした。
日本語を指導していて、日本語が上手になっていく学生を見ると教師として嬉しく思うわけですが、学生の進路の先に日本語とは関係ない選択をした時に思ったのです。日本語を通じて築いてきた教師と学生の信頼関係は日本語ありきで繋がっているもので、学生にとって人生の一端でしかない日本語学習において存在する一教師は、塾講師のようなものにすぎないのだと実感したのです。
日本語の学びの向こうには、日本人の考え方や習慣、文化といったような背景が広がっており、それらを指導できる人になりたいと思うようになってから、日本語だけを指導する教師でなく、それらを取り巻くものを含めた指導をする教師になりたいと、いつしか思うようになりました。日本語はただのツールにすぎないという考え方もその頃からですし、日本語を通じて日本のことをたくさん教えていきたいと思うようになったわけです。

 

真の学生ファースト

学生ファーストといっても、ただ学生に寄り添えばいいというものではありません。
学生に優しくとか面白くとか仲良くなるという考え方ではなく、何を知りたいのか、何が分からないのか、という学生が何気に思っていることや感じていることを察すること、それが真の学生ファーストだと感じています。
それらは、こまめに学生たちとコミュケーションを取りながら指導していうちに見えてきますし、ある程度の信頼関係が築けていれば難しくありません。
世の日本語教師の中で、どのくらいの人が学生ファーストなのか先生ファーストなのかは分かりませんが、日本語を指導する先に見えるものがあれば、それが第二の日本語教師としての第一歩だと思います。日本語学習の先にあるものは人それぞれですが、私にとっては学生の将来を見越したものであるということです。
将来、自分の教え子と何年後かに再会した時に、「あの時は日本語が下手で、自分の気持ちや思いを先生にうまく伝えられなかったけど」という具合に話が進み、日本語が上手な教え子と楽しく語り合うことができれば、それが日本語教師としての最大の喜びだと思っています。

 

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