わかりやすい日本語教育
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日本語教師から見た日本人 charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。また、自身の経験から日本語教師の働き方や教育方法、心構えなど日本語教育に関する自身の気づきを伝えていこうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、日本語教育を考えるきっかけになればと思います。

今日は日本語教師をしているから感じた、外国人が持っている日本のイメージや日本人が国際化を進めている中で足りていないことを話したいと思います。日本で生活している日本人や海外に進出している日本人とは違う日本語教師」だからこそ感じる日本のイメージを紹介していきます。

是非最後までご覧ください。

 

 

海外から見た日本のイメージ

現在、日本国内で日本語教師を6年ばかり続けてきて思うのは、日本人の意識を今後変えていきたいと奮起している自分に気づいたことです。
そのきっかけになったのは「やさしい日本語」や「介護の日本語」といった分野で仕事をすることになってからでした。それらの分野は、外国人に向けた日本語だけでなく日本人にも向いているからこそ、日本人の外国人に対する意識を変えたいと思うようになりました。
自分のちっぽけな野心の中に、ここまでスケールの大きいことを考えたこともなかったのですが、日本語教師として外国人相手に仕事をしていると、自ずとグローバルな視野になってしまうからか、そのような意識で多様な日本語教育の分野に日々取り組んでいます。
以前、日本語教師として駆け出しだった頃、ベトナム(ホーチミン)で日本語指導経験があることから、海外から見た日本人だったり、海外から見た日本のイメージも含めて日本語教師から見た日本人」と題して、日々感じていることを多角的に考えてみたいと思います。

 

外国人との向き合い方の変化

一般的な日本人に目を向ける中で、国際化が進んでいる日本社会における我々の国際的な意識は、思っている以上に国際化の波に乗れていないと思います。
というのも、日本を飛び出し海外に進出する分野においては年々増加傾向にあることから、日本人の意識が海外志向になっていると思う反面、国内に留まっている日本人からすれば、外国人に対する興味や関心は相変わらず薄いと思っています。
欧米ではアジアンヘイトによる不平等なニュースを時々目にしますが、日本国内でも、ヘイトまではいかなくとも外国人に対する恐さや偏見は巷に溢れています。日本語ができないからといって無能差別をしたり、日本語が上手でなければ日本に来るなという何様差別など、あらゆる差別が外国人を取り巻く場所で起きていると思います。
外国人労働者を日本に呼び寄せる政府計画の背景には、日本人が自主的にしなくなった仕事を任せるためだとか、我儘な理由で都合のいい計画を打ち出した結果、その思いが届き目標人数に達したのはいいにしても、労働環境や働き方は現場任せであることから、受け入れ側も外国人労働者も共倒れの状態に追いやられている状況も少なくありません。

 

日本人のナショナリズム

GDP上位の国であるアメリカや中国といった大国では、国民のナショナリズムが高いと感じますが、日本人のナショナリズムはというと、自分を含め、どうも低すぎる印象があります。
「この国に生まれたからには、この国をよりよい国にするためにも、国民全体で一致団結しよう」というようなナショナリズムは、日本人にとって無縁に近いような印象です。
私も同様ですが、これまで一度も「国のために」何かしようとか考えたことはないですし、今後も国に対して何かを期待することはありません。それは国が嫌いとか無関心という理由ではなく、子どもの頃から学んできた社会教育の中に、国を敬うという思想のようなものがなかったからだと考えます。
日本は近年、戦争を通じて他国に迷惑をかけてきたことから国の威厳やメンツというものは底辺に近いように感じます。これまで生きてきた中で、日本に生まれて良かったとか日本人で良かったなんて、口にしたこともなければ頭を過ったこともありません。そういう観点からいえば、アメリカや中国といった国民と比べると、私にとっては国に対して誇りも有難みもないのです。

 

外国人にとって魅力的な国、日本

日本人が思う日本の印象は人それぞれ違うとはいえ、海外から見た日本はというと、それはそれは素晴らしい文化を誇った国として一目置かれています。
ただ日本文化と聞くと、日本人は何となく古典的で伝統的なイメージを浮かべると思いますが、外国人から見た日本文化は、伝統的なものだけでなく現代のものも含めて、もっと幅広く壮大なものをイメージしています。
その内容はというと、アニメや漫画、映画や音楽といったメディア文化が多くを占めると思いますが、日本人にとってはそれが当然の日常であっても、外国人にとっては全てが特別なものなのです。
日本や日本語に興味を持ったきっかけを学生に聞くと、大半の学生がアニメや漫画と答えます。好きな歌手や俳優を尋ねてみても、米津玄師や石原さとみといったメジャーな人から、日本人も知らない一部のマイナーな人に至るまで、日本のことに関しては日本人より精通していたりします。
日本人にとって、それほど偉大でもなければ、さほど優秀にも感じない日本文化も、外国人にとっては特別で独特で素晴らしく思えるのです。その思想こそが、日本の素敵なイメージを根っこから支えてくれているどころか、年々その印象の良さは増してきているように思います。
私たち日本人が、そんな素晴らしい日本に対して、何も思わず何も感じないのは仕方ないことだとしても、こんなに素晴らしい文化を持っていることに、改めて興味を持ってみるのも悪くないと思っています。
そんな素晴らしい日本で実際に生活している日本人も、日々のストレスに埋もれ、年々自殺者は後を絶ちません。その理由や背景を肌で感じていても、その問題を中々解決できずにいます。
私は日本語教師として、外国人視点が理解できるからこそ、日本の素晴らしさを痛感します。そういった理由から、今の日本における社会問題の中でも、外国人問題や日本語教育の分野に対して鋭く斬り込んでみたいのです。
日本語教師からの目線と、外国人からの視点を踏まえた上で、一般的な日本人の意識を変えたい。それが、今の自分が成し遂げたいと思う野心の一つです。

 

 

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