わかりやすい日本語教育
未分類

全部、日本のせいだ

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

今日は日本人大学生と外国人の交流会にて感じた違和感について話したいと思います。今回は日本語教師という枠ではなく、外国に興味があるはずの日本人大学生がどのように外国人との交流会に参加しているのか、そこから感じた違和感は何かを考えてみたいと思います。

是非最後までご覧ください。

日本語教師としての真髄


私は日本語学校に勤めていますが、本業より楽しんでいることがあります。
それは、オンライン授業として日本語学習者に日本語指導していることです。本業と何が違うのかと問われがちですが、本業ではカリキュラムで決められた自由のない授業をしています。
オンライン授業では日本語学習者のニーズにもよりますが、ある程度は自由に設定して授業ができるという所が最大の利点です。もう一つの利点は、対象学生は母国にいる日本語学習者が多いので、日本在住の学生に比べて話題に新鮮さや刺激があります。そして、日本のことに対して知りたいことが多く、少しの話題でも内容が盛り上がることから、毎回のオンライン授業が楽しみで仕方ありません。
オンライン講師として活動する日本語教師は通常、企業登録制の形式が多いですが、そのような環境だと縛られた状況での指導になるため、あまり魅力を感じることはありません。以前に、実際講師登録して授業を実施してみましたが、本業同様、形式的な授業になってしまうので、自由な環境で授業できるわけではありません。
オンライン授業のイメージとして、対面に比べ、準備が大変だとか授業がやりにくいという意見も多いと思いますが、私のオンライン授業は独自で行っている個人授業なので、準備なしで授業していることが多いです。最近は特に、日本語教師の真髄を得たような環境で授業ができているので、今後も続けていきたいと思っています。

アニメが世界に齎したもの


日本語学習者と個人授業を進める中で、まず最初に自己紹介を交わす際に「どうして日本語を勉強していますか」という問いの返答は十中八九「日本のアニメが好きだから」という答えが返ってきます。
日本語教師駆け出しの頃は、日本人にも同じ趣味嗜好の人が多いので、ただ何となく「そうなんだ」と思っていましたが、最近は日本人でありながら「日本アニメ」の凄さに改めて気づかされたこともあって、アニメ文化に深い関心を持っています。
アニメがきっかけで日本語学習を続けてきた学習者たちの共通点は、聴解レベルが高いことです。それはアニメに関わらず、映画やドラマ、そしてジャニーズ好きの学習者というだけで、聴解レベルが高い学生が実際多いのが事実です。
何れにせよ、そのような映像を通じて日本語音声というものを知り、結果的に声優に興味を持ったり、女優やアイドルに興味を持つことで自ずと聴解レベルが上がるのだと思います。ただ会話力はというと、決して上手なわけではありません。
お世辞にも上手い人は本当に少ないどころか、N1取得者ですら、基本的な日常会話ができない学生が本当に多いです。そのような学習者たちはというと、会話力を上げたい一心で日本人との会話を求めているのが現状です。私が行っている独自のオンライン授業は、これらの方々をサポートすべく始めた活動なのです。

日本文化という理想と、日本生活という現実


上記のように、様々な日本文化が世界に素晴らしい影響を与えていることは間違いないのですが、そのようなジャパンドリームに憧れて実際に日本に来てみると、日本生活という現実はそんなに甘いものではありません。
良い点では、景色がキレイでゴミも少なく、ルールやマナーを遵守している日本人は絵に描いた通りの有様なわけですが、意外に知られていないのは、日本人の考え方は目に見えない以上に、複雑で曖昧でいい加減で冷ややかなものです。
日本に留学し大学に通う程度なら、そこまでのことは我慢できるレベルかもしれませんが、日本で結婚したり仕事するとなるとそうはいきません。本領発揮とばかりに、日本人はストレスを日々抱えながら下を向いて生きていますし、人間関係のドロドロさは世界トップレベルかと思うくらい冷えきっています。
日本は自殺が多いとか、悪いことをしていないのにすぐ謝るとか、外国人からしたら理解できない状況にウンザリすることも少なくないと思います。もちろん、悪いことだけでなく良いこともあります。おもてなしの文化や接客面などにおいてのサービスレベルが高いことなどは、日本人として理解できます。
とはいえ、そのようなことは自然に発生しているものでなく、仕事だからと割り切って人工的に行われていることから、その背景には苛立ちも我慢も尋常ないくらいの憤りを感じています。
そのため、そのような良い面に比べ、悪い部分の大半は日本特有のダークな雰囲気が漂っているのも事実として挙げられます。

原因の多くは、日本人のせい


そんな日本に憧れて留学をし、大学や大学院を卒業を前に、日本での就職を諦め、母国に帰る学生が後を絶ちません。
その背景には前述で挙げたような内容が含まれているわけですが、そこまで外国人を追い込んでいるのは紛れもない日本人なのです。
日本のアニメがきっかけで日本を好きになって、日本語を勉強して、苦労の末、留学し就職準備まで進めていたのに、最後は日本での生活を続けることを拒まれてしまう現実を、日本人はどう感じていますか?
これまで通り、外国人に頼らず生きていくから関係ないですか?外国人が好きに日本に来て、自由に生活したらいいと他人行儀ですか?そもそも、そんなこと考えたことがないから分からないと無関心ですか?私の主張は、日本人が外国人に対して無関心であることが、ある種の罪だと言いたいのです。
自分が日本語教師であることから両面の気持ちが理解できるからこそ、一石を投じたくて仕方ありません。実際には、一石では足りないのです。
今後の日本を支えるのは確実に外国人と分かっておきながら冷たくあしらったり無関心だったりするのは、多少なりとも私たちのせいでもあると思っています。日本人側と外国人側の両面を理解している我々が率先して発信していかなければ、この国の体制は変わりません。
日本語教師は日本語学習者を指導することが仕事なのだと言い聞かして、目の前の授業にばかり、日本語教師の熱き想いを発揮するだけではダメだと思うのです。授業よりも、学生よりも、大切なもの。それは、この国の将来安否です。我々が何もしなければ、この国は相変わらずの想定内の成長しか遂げないのです。
国際社会の中で、日本の立ち位置というのは世界に比べ、遅れているものが多いと聞きます。将来の日本のことを真剣に考えるならば、外国人のために何ができるかを真剣に考えたいと思うのです。
私が今できることは自分で注力すれば済む話ですが、多文化共生という壮大なテーマを掲げる前に、今すぐ取り組めることとして、例えば目の前にいる外国人の方を労わってあげてほしいのです。
コンビニでアルバイトしている外国人や宅配している外国人を見かけることが多くなっている昨今、私たちに何ができるのか。今一度、考えてみてほしいと切に願います。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA