わかりやすい日本語教育
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外国人に優しくない日本人 charls

みなさんこんにちは。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。また、自身の経験から日本語教師の働き方や教育方法、心構えなど日本語教育に関する自身の気づきを伝えていこうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、日本語教育を考えるきっかけになればと思います。

今日は前回から引き続き日本の国際化による、日本人の外国人の向き合い方について話していきたいと思います。私が先日見つけたある人の活動から、私が日本語教師の立場から感じたこと。そしてこれから日本人が外国人と生活していく中での課題についても紹介していきます。

是非最後までご覧ください。

フリーハガーの偉大さ

桑原功一さんというフリーハガーの方を先日、tiktokで初めて知りました。
フリーハガーとは「free huger」。つまり「私と自由にハグしてください」と名乗っている方です。その方が韓国に行った時のロケの映像を見たのですが、ただただ衝撃でした。
彼のメッセージに書いてある内容は、以下の通りです。
「私は日本人です。日本では多くの人が『韓国人は日本人が嫌い』と思っています。でも、私はそう思いません。私はあなたを信じます。あなたは私を信じてくれますか?もし、そうならハグを」
そう書かれたメッセージには、彼の強い想いがあるのです。しかし、道行く人のほとんどが素通りしていく中、時々は立ち止まってメッセージを読むだけの人もいたり、同情してかハグしてくれる人もいます。

このような企画ロケは、韓国だけでなく様々な国で行っています。私は彼のロケを見てまず何かを想う前に、意表を突かれたように涙がスーッと零れてきたのです。初めての体験でした。悲しいとか辛いとか、そのような真っ直ぐした感情ではなく、やるせない気持ちというか清々しくもすっきりした感情だったのです
彼の行動について、皆がどう思うかは分かりません。きっと賛否ある中でも、私は賛しか脳裏を過ぎらないくらい賛同しました。彼の行動で素晴らしいのは、常に目隠しをしているという点です。相手の様子や外見を一切お咎めなく、相手からの真っ直ぐな気持ちだけを受け止めようとする姿勢に感銘を受けただけでなく、ピエロ同然の出で立ちであることから、無防備なまでの危険性も孕んでいる中での勇気ある行動なのです。

 

思ったより優しくない日本人

日本人にとって外国人は異人同様。この内容は以前も話題にした内容ですが、今回私が伝えたいのは、日本人が外国人に対して全然優しくないということです。
とはいえ、海外から見た日本人のイメージは、親切だの優しいだの真面目だの良い内容が返ってくるのですが、それは他の国と比べて日本が安全であることが前提で、日本人に対して好意的に思ってくれているような気がします。では、日本人から見た外国人のイメージではどうでしょう?
どの国も共通しているのは、日本に比べ多くの外国が安全ではないことから、日本人は外国人に対して恐いというイメージがつきまといます。そうなると、せっかくの良いイメージが薄くなったり淡くなったりします。褒めるべき点も外見や雰囲気だけになってしまいがちだったりして、外国人の中身や考えなどイメージしにくい日本人が多いのではないでしょうか。
そういう背景もあってか、本に住む外国人に対してあたりが強いのは、虐めそのものでしかありません。日本語が片言だからとバカにしたり、文化や習慣の違いで見下したりする日本人が、ただただ情けなくて仕方ないのです。

 

海外から見た日本人のイメージ

一般的な日本人のイメージである「真面目・親切・律儀」というような印象は、どこから生まれてきたのでしょう。
あながち、その良いイメージは間違っていないのですが、悪いイメージとして、どのような印象を持たれているのかは正直気になる所です。私の勝手なイメージでいうと「曖昧・ハッキリしない・本音を言わない」というような印象ですが、そこまで間違っていないと思っています。
悪いイメージに関しては、実際、自分がそうであることから、一般的にもそう感じてしまうのですが、外国人の方が様々な目的で日本に来て、日本人に対して思う印象は、どうなのでしょうか。
元々のイメージ通りという人もいれば、そうでない人もいるでしょうが、日本に慣れてくると今まで見てこなかった状況や場面に遭遇します。生活する上で、日本人と接する機会が増えていくと、自ずと日本人の本性を知ることになります。それは、つまり「日本人は外国人に対して軽視している」ということです。
日本人は思ったより優しくないと話を進めてきましたが、そもそもどうして優しくないのかというと、外国人というだけで自分より下に見ているのだと思います。その原因は定かではありませんが、想像するに社会的地位の低さが一つ挙げられると思います。外国人というだけで、社会的に非難を受けている気がします。そう考えると、日本という国は令和の現代になっても、未だに残念な社会なのです。

 

外国人に対する日本人の本音

日本の人口が少なくなっている昨今、今後の労働力を担うために、多くの外国人の方々を日本に迎える政策を打ち出しました。
その政策は、日本人にとっても外国人にとってもメリットがあるということで、受け入れ目標達成となったものの、外国人の方々の生活はというと、日本人はどう思っているのでしょうか。貧困の差や社会的地位の実際は、どうなのでしょう。
外国人も日本人と同様、税金を納めているし、人権や様々な権利があるのだから、社会的地位に差があってはいけないはずです。では実際に、日本で生活している外国人を目の前にしたらどうでしょう。仮に、日本語ができない外国人というだけで、日本で生活しているのに、どうして日本語ができないのかと疑問を持ちませんか。
その疑問こそが偏見であり、下に見ている証拠です。生活者としての外国人が日本語が全然できないからといって、それには様々な事情があります。それなのに、日本人は日本語ができない外国人に対して、どうして下に見るのでしょう。そこには偏見の塊が存在しています。外国人という存在が、見慣れないものであることへの違和感を感じているのです。その違和感が日本人にとっての恐さであり、近寄り難いものなのです。
私たちは普段そのような気持ちで日常を過ごしているから、外国人に対して何も感じないかもしれませんが、そう感じてしまっていること自体が、差別であり非難なのです。それをなくすために必要なのは、外国人に慣れることです。
とはいえ、日本人が今のまま何もしないでは何も変わらないので、外国人から声をかけづらい状況を察して、日本人から積極的に声をかけてあげるべきなのです。頭では分かっていても、それが中々うまくできない日本人。私も日本人として、よく分かります。だからこそ、そんな日本人の意識を、今後変えていく必要があるのです。

 

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