わかりやすい日本語教育
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日本語教師として「登壇する」ということ charls

みなさんおはようございます。日本語教師のcharlsです。

昨年からのコロナ禍によって、ずっと対面形式の授業をしていた日本語教師が、オンライン形式の授業に興味を持ったきっかけや、実際にやってみて感じたことを話して行こうと思います。日本語教師として働いている人や、ボランティアで日本語を教えている人。そしてこれから日本語教師を目指そうと思っている人にとって、オンライン形式を知るきっかけになればと思います。

今日は教師の主な仕事である「登壇する」ことについて話していきます。日本語教師として「登壇する」ときに何を考えているのか、何が大切なのか、私の考えを紹介していきます。是非最後までご覧ください。

【教師は指揮者にすぎない】

初級や中級、上級といった様々なレベルのクラスを受け持ってみて思います。レベルによって授業内容は変われど、変わらないものもあります。それは「人と人との授業」ということです。
授業開始時は、教師だけでなく学習者も緊張してると思います。ある程度の距離感は否めないですが、最初のミッションとして、教師がいかに学習者の懐に潜り込むかにかかってると思います。
教師は授業における指揮者であることから、授業をスムーズに進行させる上で効率良く舵をとる必要があります。しかし、舵をとることに気をとられすぎて、奏者である学習者を蔑ろにしたり厳しく指導するだけではクラスという楽団は目標を見失います。
奏者あっての指揮者であり、学習者あっての教師である以上、今まで培ってきたそのタクトが、今のクラスに相応しいかどうか、今一度考えてみるべきだと思います。

 

【ピエロは愚者でなく賢者】

販売業やサービス業を長年やってきて思うのは、上司や同僚といった社内に対しても、相手先やお客様といった社外に対しても、ピエロになって戯けてみせることで、皆笑顔になることが分かりました。つまり、状況に応じて意図的に「演じる」ことで笑顔が生まれるということです。
ピエロは無能な人には理解できません。ピエロの存在や意義すら理解できないでしょう。有能な人だからこそ、ピエロの全てを理解して演じられるのです。その要素が、教師にも少なからず必要だと思っています。ピエロになって戯けてみせることで学習者に笑顔が灯れば、教師にとって、その授業を勝ち得るのだと思います。学習者から戯けるわけにはいかない以上、教師が多少なりとも戯けるしかないのです。
そうすることで楽しい雰囲気を維持したままクラス・コントロールできるわけですが、頭の中では分かっていても実際には難しいものです。教案通りに授業をしても学習者は笑顔にならないし、その場その場の表現やリアクションを臨機応変に試していくしかありません。すべてを想定通り進めていくことはできませんが、仮に失敗したとしても挑戦を止めない信念が何より大切なのです。
戯けてみせて何が一番辛いかというと、白けるという事実です。相手が日本人でない分、それはそれは大いに白けます。ただ、負けない気持ちを持って続けていけば、不思議とその戯け技術も慣れていくものです。

 

【授業の主役は教師ではない】

自己満足な授業がどれだけナンセンスか、予定通りに終わる授業がいかに味気ないか、を最近よく感じます。
教案やカリキュラムはあくまでも指針であり、その通りに沿った授業をすることが、必ずしも正しい教育だとは思いません。授業というものは生きているからこそ、活きた授業を心掛ける必要があります。授業に正解がない以上、どんな結果になっても、その授業が学習者にとって活きていたかどうかが重要なのです。それを毎回判断するのは教師ではありません、学習者です。
授業の最中、例えば何気に膨らんだ会話を元に学習者がそれに便乗して笑ってくれたら、その授業は活きている状態です。仮にその内容が授業とかけ離れた内容だったとしても、その楽しい時間や雰囲気は学習者の心に響き残ります。それは教師である自分の心にも響き残ります。
授業はあくまで教師主導ではなく、学習者主導であることが良い授業の定義だと思います。

 

【日本語教師は、外国人から尊敬される職業】

「人と人との授業」という意味では、幼稚園から大学までの教育現場含め、その思想は日本語学校に留まらず教育業界全体の思想として同じなのかもしれません。
ただ、社会的に肩身の狭い日本語教師も、通常の教師と比べて圧倒的に負けていない要素は、学習者が外国人であることです。日本人に教えるのではなく、日本語の通じない外国人相手に指導できる特別感は、普段感じ得ないやり甲斐を存分に感じさせてくれます。それこそ毎日が海外旅行気分で、思いがけない異文化が体験できます。
日々の仕事の中で、毎度このような新鮮で刺激的な気持ちにさせてくれる教師という時間は、ちっぽけな自分を少しずつでも成長させてくれます。だから一生かけてでも、この気持ちのまま何一つ変わることなく日本語教師として全うしていきたいと思うのです。
このやり甲斐は他の職種では経験できないどころか、外国人という特別な学習者と触れ合うことで、互いに成長し合える大変貴重な時間なのです。

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